免震内容の要約
四つ辻で車を降り、掘っ建て小屋のような茶屈に入ったところ、汚れたガラス窓から子供たちが覗いてはきゃあきゃあ騒いでいる。
かつては、日本の農村にもこういう物見高い風習があった。
ここはアメリカ大陸のど真ん中なので、めったに外国人を見る機会がないということなのか、あるいは東洋人を初めて見たということだったのか。
都会の近くだったら、こういう素朴さはあるまい。
間もなく、当地で一番大きな農場を経営しているというN氏が、連れ立って現れ、挨拶をした。
一行は、N氏の農場を視察したあと、小学校四、五年生くらいの可愛い娘が、に自慢できると喜んでいたのだろう。
この子が家の隅々まで案内し、何人かの紳士たちと同氏の家に招かれて、昼食をご馳走になった。
ひとりではしゃいでいる。
恐らく、学校の同級生たち、しまいには二階の寝室にまでつれて行って、これが父母の部屋、これが私のベッドよ、などと披露したあと、再び一階に降りて、「うちにはピアノもあるんだよ」と自慢した。
やはり、この辺りは大都市から遠く離れた片田舎で、演奏会などにはあまり縁がないのかもしれない。
その分まで純朴で、人がいいのだろう。
「沖縄返還問題」についても、躊躇なく、「当然ですよ」とN氏は強調していた。
ワシントンとの距離がそういわせたのかどうか、あるいは問題の本質をほんとに理解しているのかどうか、よくわからない。
その夜、デモインにもどって仲間二人とバーへ行ったら、白人のマダムが大いに歓迎してくれた。
そこへ、ギターを抱えた黒人が入ってきて何か弾きはじめた。
マダムは、すごい剣幕で「出ていけ」という。
われわれが「いいではないか」といっても、承知しない。
しまいには、黒人をハイヒールで蹴飛ばして追い出してしまった。
この辺りはオランダ移民が多いそうだが、こんなにひどい人種差別を見せつけられようとは想像もしなかった。
ところで翌日、デモインのホテルに届けられた現地の新聞『O』を見て、びっくりした。
われわれ一行の訪問を報じた記事が、すごく派手に出ているではないか。
一面トップに、「日本を代表するトップジャーナリスト十一人がN農場を視察」と大きな見出しが躍っている。
しかも、参加者の社名、名前入りで、写真も二枚ついている。
さながら親善大使ご一行といった扱いである。
そのうえ、アメリカでの一行の日程、役割まで詳しく書いてあり、例えば、「ここへ来るまでにワシントンでホワイトハウス、国務省その他を訪問した」「これからは、西部、南部をまわってニューヨークで終わる」といった調子だ。
さらに後の方を見ると、「一行を案内するために、アイオワ州のお偉方が何人も現地入りして接待に当たった」と肩書や名前までずらりと並んでいる。
そういえば、ずいぶん多くの人たちに紹介されたなと思ったが、われわれの訪問が当地にとってこんなに大がかりな行事になっているとは知らなかった。
やはり、広いアメリカのなかの、典型的な田舎なのだろう。
ところで、われわれ新聞記者という人種は、いつも他人のことばかり書くのが商売で、自分が記事の主人公にされることには慣れていない。
だからみんなは、先を争うように英字新聞を取り合って、自分に関する記事を夢中になってむさぼり読んだ。
次は大都市ロサンゼルスだ。
ここでは丸二日問、総領事主催の夕食会があるほかは、完全に自由時間になっている。
そのため私は、日本を出る前にアメリカ大使館の知人に頼んで、こちらで話し合える友人を紹介してもらっていた。
そのひとりS氏は、ロサンゼルス郊外に住む中堅のサラリーマンである。
電話をしたところ、小学生の坊やといっしょにホテルへ迎えに来てくれた。
坊やはホテルのなかを見たことがないので、ぜひ見たいという。
「お安い御用だよ」と早速、自室から屋上まで案内してあげた。
坊やは、初めて見るホテルの内部に興味津々の様子で、エレベーターやエスカレーターにまで目を輝かし、買ってもらったキャンデーに大喜びしていた。
やがて、彼の車で郊外にある家へ案内され、奥さん手作りの夕食をご馳走になった。
そのうちに、奥さんが坊やを「T」と呼んだので、当方も思わず、「ああ、T!なの」と声をあげたら、家族みんなが、Tの冒険「T」と、にこにこしながら、おうむ返しにいう。
「いや、実は幼いころ読んだMの名作『Tの冒険』を思い出したんですよ。
記憶はすっかり薄れているけれど、たしか腕白坊主のTが、村の浮浪少年ハックと組んで、思いつく限りの悪戯と冒険を繰り広げるという、すこぶる愉快な作品だったように覚えています。
悪戯っ子なところが私によく似ていると思ったものですから」。
そうして「そうだ、T君も腕白なのかな」と指をさすと、夫妻が笑い、T君も大きくうなずく。
家族とあれこれ話し合っているうちに、そうだ、明日一日空いているのだから、今から丸一日でもどれるところへ飛んでみるのも一興ではないか、と思いついた。
そこで、「どうだろう、これからグランドキャニオンへ行ってみたいんだが・・・今から出かけて明日の晩までにもどって来られるだろうか」と聞いた。
すると、T氏は、「たぶん大丈夫じゃないかな、ラスベガス経由だから、航空会社に聞いてみよう」と、すぐ電話にとびついた。
二、三カ所かけているうちに、どうやらラスベガスまでの最終便が取れたらしい。
「運よく一人分だけ席があるから、午前零時四十五分までに来れば乗せてやる、といっている。
OK?よし、今すぐ飛び出せば間に合う」聞いて、躍り上がった。
コートを着ると、家族にさよならをいうのももどかしく、車に飛び乗った。
S氏は、おんぼろ車の限界いっぱいまでスピードをあげる。
エンジンが焼き切れやしないかとひやひやする。
定刻ちょうどに空港へすべりこむと、彼は閉まりかけた窓口をたたいて、たった一枚残っていた航空券を手に入れてくれ、「急げ」と肩を押す。
当方はグッバイもそこそこにゲートに走り込み、搭乗機のタラップを駆け上がった。
やっと機内に入ったとたん、乗客はみんなこちらを見ながら、どっと笑いころげた。
何だろう、と隣席のおじさんに聞くと、「機長がね『ただ今、滑り込みでセーフになった幸運な日本人をご紹介します』ってアナウンスしたんだよ。
キミを待つために一分遅れたんだ」と教えてくれた。
そこで当方も立ち上がって、「ありがとう、私がラッキーボーイです。
サンキュウ・ヴェリマッチ、サンキュウ」と頭を下げると、またどっと笑いの渦がまき起こり、「へーイ、日本のラッキーボーイ」と声がかかる。
底抜けのユーモアに、これだから旅はやめられないんだな、と思う。
やがて、搭乗機は離陸し、三十分でラスベガスに着いた。
カジノには興味がないし、Tの冒険は午前七時十五分だから、それまでどこかで休まなくてはいけない。
わずか数時間のためにホテルをとるのはもったいない。
ふと見ると、ロビーの片隅で、バーが靴をしまいかけている。
とんで行って、声をかけた。
「まだ飲める?」「もう終わるところなんだ。
だけど、いいよ」。
バーボンの水割りを飲みながら、「日本から来たんだけど、グランドキャニオンへ行って、明日中にロスへもどるんだ」というと、「日本か・・・僕は沖縄へ行ったことがある。
戦争でだ」と意外な話になった。
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